愛をすることの考察(改訂版)

そう。
願いがひとつだけ叶うとしたら?
あなたに言われたから、わたしは答えを探しに夢の世界に潜っていった。
びっくりした。
だって、世界はすでに
水没していたのだから。
それはまるで
果てしない壮大な水槽の中にいるような感じ。
わたしはぷかぷかと
浮かんでいる。
でも、それはいつものことだ。
だからわたしは、いつもそうしているように
ずっと向こうに聳え立つ「塔」を目指して進んでいく。


大地は黒く塗りつぶされた。
昔、ここで戦争があったのだ。
大きな大きな、戦争だったと
誰かが言ってた。
だから、というわけじゃないけれど
わたしはこうやって地上を離れて空を浮遊する。
水没した都市を眼下に。
水底にたゆたう、廃墟と化したトウキョウ。
溶けてしまった記憶の束が、解かれる。
ずっと空を飛びたいと
幼い頃から願っていたんだったけ。
でも、そんなのじつは嘘だったのかもしれなくて
本当のことを言えば
ぜんぜん空なんて飛びたくなかったんだろうね、多分。
今にも崩れ落ちそうな建物は
今はあまりにちっさく見えて、ほとんどミニチュアのようだ。
無機質であればあるほど、それは立派な質感を備える。
無機質な質感――ただ今はそれだけを信じるしかないのかもしれない。



「塔」までの道のりは無限に続く。
でも、それはいつものことだ。
ビルの隙間を縫う魚群が
なにやら幾何学を描いているようで。
わたしはそれが何だか知っている。
魚たちは、わたしだけが解読できない記号でもって
外の世界にたえずメッセージを送っているのだ。
(めまいがする)
突如、周囲が暗くなった。
鯨の影だ。
天を翳らすその巨体は 今しがた千年の眠りについたのだと
誰かが言ってた
けれど本当のことは
やっぱり誰にも判らない。
――諦めるんだ。


どこからか聴こえてくる。
傍に居たのは、あの狡猾な鮫のスミス。


ほうっておけ。
ヤツが目覚めてしまう前に
世界は憂鬱に覆われてしまうんだ。
だからオマエさんも その時期を静かに待てばいいのさ。
少なくとも今は「自由」なのだろう?
そう言ってスミスはわらった。


嗤った。


わらった。


わらえなかった。


わたしはちっとも笑えなかった。
だって鉛色の胴体を翻して去ってゆく彼もまた、物憂な様相だったから。


もしも願いがひとつだけ叶うとしたら……あなたが問うたときに
すでにわたしの世界はすっかり満たされていた。
だって
わたしはあなたを超えることができない。


「世界は永遠で一なる神だ」と、スピノザは言った。
これがわたしにとっての、はじめての愛。
愛という、確かな質感。


(でも、それはいつものことだ。
視界に屹立する「塔」は朧げなるまま
未来永劫、世界を統括し続けることだろう)