2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧
モチベーションがあがらないのは、やる気が無いから。ではない。「モチベーションが上がらない」と「やる気が出ない」は 同義語であって、根本の原因ではない。すると、原因はなにか。「迷い」だと、私はおもう。進むべき道に「迷い」が生じているから、 ま…
ものの「なんであるか」問う場合、一般的に 「◯◯は△△である」 というが、文法的にはこれは主語+述語の形式である。 主語の部分には、その問われるものをおき 述語には、その問われるものの「性質」を嵌め込む。 つまり、ものの「なんであるか」とは、述語を…
「運動変化の速度は時間によって測定される――すなわち速いとは時間が少しで運動が多く、遅いとは時間が多くて運動が少しである――が、しかし、時間は時間によっては、その量も質も、定められない。それゆえ、明らかに時間は運動ではない」アリストテレス 時間…
僕はなぜ「他者」について知ろうとしているのか?①人見知りだから。 どうすれば他者とうまく付き合えるのか知りたい。 →私にとって他者とはどのような存在であるかを知りたい。根本。 ②柄谷『探究Ⅰ』を読んで。 柄谷は『探究Ⅰ』において(以下意訳)「お前ら…
アリストテレス『形而上学』を読んで、 この人(たち=哲学者)はことごとく言葉(ロゴス)を用いる人達なんだなと つくづく感じる。 意味や用法、論法といった言葉の諸々の機能をフル活用してるなーと。 「世界が何であるか?」とは、つまり「言葉とは何で…
「それがそもそも何であるか?」 ⇒ ・端的な意味での本質(実体) ・述語的諸存在(どれだけあるか?どのようにあるか?:性質) Q1: 述語なしに本質を語ることは可能か? (述語(記述)の束が、すなわち本質(実体)を語るのでは?) Q2: われわれは、そ…
物事の運動や転化の原理(始動因)はディナミス(能力・可能性)である。 (アリストテレス) なるほど。 可能性が、物事を動かす基となるんですね。
「私」と他者とは、 何において同じで、何において違うのか? 生物という類においては同じで 人間という種においても同じで たぶん「この私」という個において、違う。 それぞれ「この私」という個(一人称)を備えており、 それぞれが、それぞれの言葉を語…
愛とは、愛することである。 また、すべからく我々に述語づけられる物事は全て、 第一に私ありきの物事である。 愛することとは、 いままさに起こっている物事なのであり、 ゆえに私にとっての真(リアル)である。
感覚はすべからく真である。 けれども、それは対象それ自体ではない。
アリストテレス『形而上学』を読んでいる。 変わらないイデアから、可変的なもの、不可変的なものが存在するのは、 これはどうもおかしい、という内容が書いてあった。 ところで話変わって、 「変わらないもの」って何だろう。 「信念?」そうおもってみたけ…
アリストテレス『形而上学』を読む。内容はまだふんわりとしか掴んでいないんだけれど、それにしても、この書物って2000年以上前に記された(考えられた)ものだという、それだけで非常に感慨深いものがある。ちょうど日本では、弥生時代にあたるのかな…