「メタ的思考」は結局のところ超越論的な自分によるロマンチックイロニーで、すなわちそれは独我論なのだから、外部を志向しようとすればする程、それは内部の強度を高めているだけで、けれどそういった生き方しか出来なくなった人々にとってみればそのコトバは呪文として、または護符として機能してくれる程度の役割は担っているのだと思ってみたりもする。メタ的思考/手法によって生成された無限ループが自らによる独我論的術中なのだとすれば、それはある一定の年代に対しクリティックな意味合いを有するのだろうが、そのことは果たして「自分」にとってどれくらいの価値があるのだろうかと考えてみた場合、多分「安らぎ」程度の価値は見出せるのかもしれないと感じる。いつか死ぬ主体によって取り出された「無限」の球体は彼らの掌で転がされ、互いに夢を浸食し合って共有を幻想する。だから私は再度「他者」を要求する。それはどこにいるのだろう。そもそも私の「他者」など存在するのだろうか。いつか私の「他者」に出会うことを志向し開始された「メタ的思考」はいつのまにか「自分」を「他者」と認識しただけで、しかし私は十分な充足をそこから得たのであった。……私の身体。外部もなければ内部もない私の身体を拭い去るにはもはや「破壊」すら致命的ではなくなっている。飛び立とうとする足場はあるが、一向に私の脚が見当たらない。……透き通った水面へと徐徐に浸されてゆく私の身体。水面は融解炉。全て溶かされた後に「再考」された私には一体なにが残され、何ができるようになっているのだろうか。判らない。判らない……けれど、せめて誰かの手を繋ぎながら、行くあてもなく街を彷徨うことくらいはしてみたい。
 
 
ってな内容が、登校途中に落ちていた誰かの手帳の最後のページにぎっしりと記されていてギャハギャハ笑けたのでここに晒してやったぜww「他者が〜」とか何言ってんのコイツ頭腐ってんの?死ぬの?ったくヒキコモリの考えていることはクソまみれすぐるw「他者」ってのはオマエみたいな腐れヒッキーニート童貞キミ自身だってwハヤクキズケww


――と日記を拾った感想を友人の友人が言ってたらしいと学校で友人が言ってました。まったく友人の友人ひどいぜ!


以上、ネットで拾ってきた話題でした。3ヶ月ぶりの更新なのに別に書くことないです……すんません。








――いったい「他者」はどこにいるのだろう。